昨年3月よりコロナ禍に入りこの一年(今もなお続いていますが)見えないウィルスや風評被害に怯えながら過ごしています。
「進学塾TMC」でコロナ発生したそうやね・・・このうわさが一件でも回れば、しばらくは休業になる話です。
今回新教室移転することになったのも元々は「コロナ対策」の改装の件からの始まりでもあります。
金沢大学附属小学校新1年生受験対策のお問い合わせも「三密」避けては授業内容に偏りが生じる・・・協働作業は必修であり「行動観察」なしでは成立しない。全員お断りするしかありません。(ママ友から非難来たとしても)
塾の存在意義は「目標達成」の主なものは「合格」させてあがられるか?
受験生にとっては「結果」がすべて・・・まさしく結果=費用対効果の世界です。
原因不明の病気であっても、痛み軽減や治療効果がなければ「費用対効果」はないと判断されてしまう。
「経営者」になっていくためには、「時給換算」も含めて「利潤」の追求=株主配当による株価によって評価されます。
私事ですが、教室移転にともない「貴重な資料」(絶版本など)「断捨離」に結構苦労しました。
母親が他界してその前から荷物の整理に泊まり込みで何十往復も東京金沢移動や部屋からゴミ捨て場所まで・・・
そのことの学習からできるだけ「廃棄」と考えていたものの・・・
それこそ塾生からのプレゼントや手紙・・・捨てられませんでした。
逆に書籍類は捨てるためにまとめて移動するだけでもかなりの量力が必要でした。
結局、業者に依頼して有料でスッキリ部屋からなくしてもらいました。
今もなお10箱程度未開封の趣味の箱があります。
「オタク」とはいかないまでも、趣味として集めてきたものもあります。
きっと私の他界後は「ゴミ扱い」なんでしょうから生前処分するべきだと思います。
そういうことから考えると・・・「主婦業」の費用対効果は?
食事・清掃・選択・買い物・学習監督・その他含めて年間有給休暇は?
睡眠時間も自分のためにではなく家族のために合わさなければならない。
「お一人様」が増えるのも、「自由でいたい」の発想からかもしれません。
「結婚するための条件」とかの理由は除外して、家族のために自己犠牲は当たり前なのでしょうか?
大学卒業までが四半世紀、結婚〜子供の自立支援までが四半世紀以上、定年後から元気で四半世紀生きられるでしょうか?
私は2度も結婚生活を体験し「自立支援」も2回経験しました。
孫の顔を見るのが楽しい爺さんにはなれないので「自己の再自立」を始めることにしました。
昨日、2021年「初詣」に奈良県「三輪明神」から京都府天橋立「文殊堂」へ日帰りで行きました。
コロナ禍なので、奈良県には午前7時前には着き参拝者も数名の中で社務所が8時前にオープンまでの間に主要なところへ参りました。
その後、京都文殊堂には昼前には到着しましたが・・・僕にとっては多数の人
込みでなく、お店も混雑はしていなくても「店内飲食」はできませんでした。
ご当地グルメ品を買って舞鶴レンガから敦賀・越前海岸を通って桜満開風景や沿岸の景色を見ながら全行程16時間コースでした。
「費用対効果」と考えれば?ずばり「自己満足」です。
毎年、御礼祈願に愛車で行けること。現地主義なので特産品を買って
自炊できること。画像ではなくその時期の風景を直視できること。
総費用支払える収入があること。そこへ行ける休みが自分で決まられること。
「やらされる」からの脱却はここへつながっていくものでもあります。
「自己管理」のしんどさも「自由」という権利のもとで「義務化」されるものです。
「杓子定規」で客観的なことと主観的で自己満足内容どちらも生きていくうえで必要なことだと思います。
http://taka-mc.com/