2020年07月15日

「夏休みの宿題」の定番「読書感想文」の弊害?!

短い夏休みの中で今年も「読書感想文」の課題はあるようですが・・・
 
 今朝のメルマガ記事に、「読書感想文」教育否定論が書かれていました。

1点目は、対象書籍の批判が許されないという一種の思考停止ということです。
例えば、コンクールに応募するなどという場合は、とにかく課題図書などを選んで、その本に対する褒め言葉を並べなくてはいけないという暗黙のルールがあります。
そこには日本の教育の根深い問題があります。それは、子どもは子供らしくとか、読書感想文というのは「本に出会って自分が成長した記録」だとかいう、カビの生えた昭和カルチャーが残っているという問題です。
「優等生」的な発想では、未曾有の危機が連続する時代において、国家や企業のマネジメントなどできないにも関わらず、それでも「優等生」タイプが受験や就活に通用すると思われているし、実際にそうした「優等生」が国を動かして失敗してしまうのはまだまだ現実だと思います。

2点目は、具体的な批判方法を全く教えないという問題です。本を読んだ感想というのは、本来であれば批評になるはずです。
面白かったとか感動したというのではなく、具体的な評価ポイントを教えるべきです。テーマ、題材、背景、問題と解決、伏線と回収、キャラの造形と成長、キャラ同士の比較相関と関係の変化、ストーリーのダイナミズムとテーマの整合性、といったストーリーテリングの問題。更には背景となる風土やカルチャーのリアリティ、サブプロットやフレームの指摘と有効性評価など、様々な要素があるわけです。
そうした具体的な観点から、対象書籍についてできるだけ事実に基づいて評価するのが批評です。
「本を通じた成長」とか「感動と発見の記録」などという、低レベルに子供を押さえつけるということが問題です。   (本文一部抜粋)

 私自身、小学生時代に作文コンクールで数回入賞したことがありますが、生徒の読書感想文を読むたびに上記の「本を通じた成長」とか「感動と発見の記録」中心に書かれていることに驚いていました。
 後に英文学を専攻して論文まで書いたことからすれば、益々納得できないことばかりです。

 なぜ、物語文を読むのか?から始める方がいいのではないでしょうか?
活字離れと動画の方が理解しやすい世代とKYをはじめとして登場人物の心情の変化を読み取れるようにするためには、「強制的課題」にしなければ、まったく本を読まない可能性があるからではないでしょうか?
 作者が登場人物を通して読者に伝えたいことを理解することは、リアルの世界でのコミュニケーション能力にも影響していきますね。

 同様に「随筆文」では、「事実と意見・感想」の読みわけが必要であり、読者は同意する必要はありませんね。
 自分ならこう考え・行動すると自分の考えや意見を明確に言えなければ、今年から始まった新学習指導要領「主体的、対話的で深い学び」に合致しませんね。

 塾生に音読させながら常に課題と感じるのは・・・
語彙力不足・描写理解が乏しい・・・経験値不足、発想力・独創力不足

 背景には、「伝記」から偉人たちの成功までの努力を読む機会がほとんどなくなった。「ユーチューバー」をはじめとした一見楽して稼げるようなことにだけ興味がある。

 資本主義・株主還元の世の中を映し出しているのかもしれません。
SNS含めて「自己表現力」が必要とされているので、単なる強制的な読書や
書き方見本・実際の感想文コピペのような「提出が目的」作業になるのであれば
筆者の指摘通り「優等生」育成のための「読書感想文」に意味はありませんね。

何事に関しても、「自分の血肉とするため」発想が欲しいものです。

http://taka-mc.com/






posted by 高橋博史 at 12:47| 石川 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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