塾ではリサーチ結果待ちよりも水曜日には「バンザイシステム」等自分でリサーチすることが可能なので木曜日までに受験予定大学と傾斜配点等で複数の候補を確認していきます。
高校では面談等のために週末までリサーチ結果を返却してくれない場合もあるのでこの1週間中途半端に過ごす時間をなくして次のステップへ進むことにしています。
塾生の大半は、高校入試とは違い私立大学を併願はしません。もともと石川県では私立高校入試合格が公立高校受験校の目安にはならないだけでなく、「滑り止め」ともあまり思ってはいません。むしろ400点以上で合格して授業料免除になるかどうかで判定しているところがあります。
大学受験については「滑り止め」発想は全くなく高校3年生夏休み時点で「受験予定校」を確定しセンター試験自己採点で予定の点数範囲であれば2次試験対策に進みます。その時に「後期入試」をむしろはっきりと選んでいます。
浪人覚悟で前期試験をチャレンジする場合「後期入試」も視野に入れていくからです。
さて、「勉強」しなさいと言わないでも「自学自習」するにはどうすればいいのですか?
この質問が学年を問わず「勉強の仕方」ともいうべき質問です。
「勉強」は「つらいことを強いられる」ので「忍耐」育成ですが、
「学習」は「まねぶ」からはじまって「親の背中を見ます」ね。
子供にだけ「きちんと椅子の座って宿題しなさい!」で小学校低学年や幼児がするでしょうか?椅子にやっと座れるようになりましたではないでしょうか?
学習習慣は食事と同じように一定の時間になれば特定の場所で学習する
ようにしくみを考えていかなければなりません。
自分の部屋どころか自分の机もない環境で育つと学習しないのでしょうか?
年収格差が学歴差になっているのは事実かもしれませんが、「貧困家庭」だからこそ「生きる力」を学ぶ必要がありませんか?
最近ネットビジネスでの成功者たちのタイトルメッセージは「貧乏体験」と「中学校卒業や高校中退」でも「億万長者になれる」とあります。
私自身は、小学校1年生に祖父が亡くなり母親が会社勤めをしだしたので「鍵っ子」になりました。帰宅しても家には誰もいないので寂しいから始まったと思います。
じゃあ、週6日塾や習い事へ行けばいいじゃないとか今の時代であればネットもありますが、当時経済的にもそんな余裕はなかったと思います。
そこで、小学校の間そろばんと習字だけは通わせてもらいその他は青少年センター(今の学童のようなもの)や近所の友人と日没までは遊んでいることもありました。
しかし、徐々に自分で買い物(コンビニはない)に行きながら交渉術を学び「おまけ」してくれる良い店主もみつかって学校から帰宅すると食事の準備ができるようになりました。
この体験は現在の関東公立中高一貫入試でかなり役に立ちます。
費用かけずに静かに学べる場所を確保するために母親は幼児時期から図書館へ連れて行ってくれました。そこで母親は経理事務員として必要な簿記や社会保険労務士の資格勉強をしていたのです。それまで長唄(三味線)の世界にいた母親が祖父の死によって方向転換し40歳代からの新規受験勉強を開始させたのです。
今の時代と違って「独学」しか選択肢はなく電卓もまだ8桁ぐらいまでしか
計算できないので簿記検定にはそろばんの技能が必修でした
私のほうがそろばんは先行していたので指導側になりました。・・・これが「教える」のきっかけになったのは事実です。
母親にとっては生活費を稼ぐために必死だったともいますが、会社から帰ってきて疲れていても資格試験合格するために夜中まで頑張る姿を見て「お手伝い」や図書館での学習はわたしにとっては当たり前のことでした。
しかし、テスト結果が100点ではなくいわゆるケアレスミスで99点とってくるとそれがたとえ学年1位の成績でも往復ピンタされました。
「2桁なら10点〜99点まで同じこと!」なんと極端で理不尽なこと・・・
経理事務員にとっては、1円のミスも許されないので(のちに経験で分かるようになりますが・・)その厳しさを言いたかったのだと思います。
父親は逆に小学校1年生以来帰宅する回数が少なくなり中学2年生になるとき正式離婚で「母子家庭」となって改名のおかげで悲惨な体験をすることになりますが、「学習習慣」と「不撓不屈」の精神を剣道通じて体得していましたので今日へとつながっていくのです。
何不自由なく何でもお金で手にいられる時代には「工夫」「感謝」が不足しがちですが、母親が「私がこんなに苦労して働いているのに勉強せんかい!」と言わずに「姿」で指導したところにポイントがあるように思います。
本日58歳になりたまたま母親が夢に出てきましたので実体験から「学習」する習慣についてお話をさせていただきました。
進学塾TMC http://taka-mc.com
