2021年07月08日

父親の『経済力』、母親の『狂気』

毎日コロナ感染者数を見ながら、8月も緊急事態宣言で夏休みが終わってしまいそうな状態ですね。
2年連続おもしろくない夏休みをどうやって楽しめばいいのか?

「コンビニ世代」は楽しむには・・・お金が必要ってところから始まってませんか?
物がなかったころ・・・お金がなくても遊べる環境がありました。

小学校3年生国語授業内容から
随筆文・・・作者の意見感想を述べている内容なので同感できるとは限らない
「本だから、できること」岸本葉子著
 始まりの部分は、幼稚園に行くようになっても、帰った後は、同じように過ごした。
 つまり、幼稚園に行く前と過ごし方は変わっていないことになる。
その過ごし方は、飛び石で「ケンケンパッ」・ツバキの実で笛作り・松脂集め
時代だから・・・と片付けていませんか?
3つともの遊び方や遊ぶ場所・内容想像できますか?
実は、
 この本は「一回きりの人生を何倍にも体験させてくれる読書。濃密な読書体験と並々ならぬ本への愛情を持つ著者が語る、今だからこそ伝えたいこと。99年刊「本はいつでも友だちだった」を改題・改訂したもの。」とされています。
 私自身も小学2年生より家の事情で母親も仕事をするようになり
1週間のスケジュールを「かぎっ子」なりに工夫することを余儀なくされました。

話の内容は、松の皮を剝ぎすぎて、白いところが出てしまった。(いたずらエピソード1)
ドングリ拾いに熱中して帰りが遅く(暗い道を)なった時、「オオカミが来る」と血相を変えて帰宅したが、暗いから怖くなったと思われたくないので何事もなかったように装った。(エピソード2)

 物語文同様に筆者の心情の変化や性格が表れているだけではなく、親の教えが分かる内容が出てくる。
まず、親に怒られることを避けようとしている。次に、親に馬鹿にされないように取り繕っている点である。

しかし、
 「オオカミが来る」なのである。
作者はいかに恐怖体験をしたかは、「赤ずきん」「ヘンゼルとグレーテル」の「お菓子の家」の話を引用している。

「一人遊び」の様子が見えてくるが、おそらく日頃の読書習慣から
「オオカミが来る」の共通点を物語から見出していたのであろう。

 雷が鳴る季節(夏)になると、いたずらっ子には「雷様がおへそ取りに来るぞ!」と怯えさせたのは、お腹を出して寝ていると風邪をひくぞ!と直接的な内容をあえて「たとえ話」に変えて伝えた方が効果の出る「幼少期」だったからだと思われます。

 日本昔話では、「あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。」で始まるものが多いのはなぜなんだろう?なんて考えてた私自身は子供のくせに冷めていたのかもしれません。具体的な地名や名前、父母ではないのは共働きか死別?と母親に聞いて困らせたこともあったようです。

「ヘンゼルとグレーテル」(おとぎ話)はもっとリアルな「教訓」を衝撃的に伝える内容ではないでしょうか?
オオカミよりも「義母」が連れ子を森に捨てに行くのですから・・・
ましてや機転の利く兄が小石の目印で無事1回目帰宅したのも関わらず
2度目は失敗・・・
結末は、父親が改心して親子3人で暮らすことになる。

ひょとすると、こういった内容「マッチ売りの少女」みたいな貧しい話を嫌う保護者もいるかもしれません。

裕福な家庭に育って、年収と世間体を気にするあまりに3人子供を育てるのは・・・とか、東京大学合格者の60%以上は年収1千万円以上だとか・・・

 そういう考えに合わせた幼児クラスを開校すれば、月謝は金沢の5倍は収めていただけます。
   逆に「医学部」「難関国私立」であろうが、公立5番手高校であろうが
月謝は均一にしています。

 元々、大手進学塾ならばトップクラスからは高額設定でも取れることから
中堅クラスとの差異を経営者は考えますね。

しかし、東大生の40%以下には年収500万円以下で「授業料免除」メンバーもいます。
元々、「奨学金」の考えは「成績優秀者」で「経済的困難者」に対する救済措置ですから逆の対象者は高額支払えるとなりますね。

コロナ禍の中で、夜の飲酒が原因とされていますが、飲酒しない代わりに
マスクもせずに「飛沫」飛ばしながらランチしている主婦の方が感染源になりませんか?

 私が気になったのは、このイタリアンのテーブルを囲む教育ママたちの言葉の端々に、「子供を難関大学に進学させた●●さんの話では……」など、彼女たちが他人・知人から聞いた(又聞き)体験談や成功事例が頻繁に登場することだった。

 何度もブログで紹介していますが、「高校名主義」は石川県でしか通用しません。
「高峰賞」「宮村賞」も金沢市でしか知らない話であり、高校推薦条件のためにあるようなものです。

 逆に、今後も次世代の子供たちは「高校名主義」を親のために意識させられ
自己の将来設計も「親の見栄の充足」のためであるとしたら悲しくないですか?

 親の「年収と学歴」に関しては、文部科学省が毎年実施している小6と中3と、その保護者の一部を対象にした「全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)」がよく知られている。

こういうデータもあります。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/2015SSM-PJ/05_01.pdf

 これらを鵜呑みにするのであれば・・・

「自立支援」メインを目的としている進学塾TMCの塾生としてはお断りです。
幼少時期に「日本昔話」や「おとぎ話」を通じて「教訓」や「夢」を与えてあげるのは「お金」ではなく「読書」であることは、大人になっても変わってはいません。

 前金沢市長の山出保氏が6月、石川県中小企業団体中央会(金沢市)の会長として次のように語っている。
地元の大学や県の研究機関と、地元企業との連携強化だ。全国的に大学の試験研究に運営交付金を減らす流れがあるが、今こそ学術振興が大切と考えている。中小企業の強みを伸ばし、DX(デジタルトランスフォーメーション)や環境対策など新時代の変革に対応するためには、大学の知恵が必要。大学側も、ちょっと頭を低くしないといけない。『相談に来い』といばっているようじゃダメ。石川県内には知力も技術力もある。『お互い一生懸命やろうや』という体制作りに力を入れるべきだ」と

 DX時代にふさわしい環境を家庭から築いていきませんか?

   http://taka-mc.com/




posted by 高橋博史 at 02:51| 石川 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする